<六甲山とムカツヒメ(5)>
ムカツヒメの名前は地名由来だと考えられる。
では、「むか」とはどういう意味なのだろう。
六甲山を「むかつ峰」と古くは呼んでいた。
その理由として伝えられているのは、
「難波の宮から見て、向こうだから」というもの。
難波の宮は前期と後期があり、
また仁徳天皇の難波高津宮もある。
仁徳天皇は実在性が疑われていて高津宮も同じ、
ここだという遺跡はないようだ。
それらの、どれだろう。
どの時代なのか、明確ではない。
そんなあやふやな地名由来こそ疑わしい。
きっと別の由来があると思う。
たとえば地形由来。
「むさ、むた」と同じく「湿地・泥地」を指すというような。
難波の宮ができる以前の歴史を見れば、どうだろう。
古墳時代の前も「むか」だったのだろうか。
古墳時代以前の「むか」と武庫川
「むか」地域が、六甲山系の南一帯を指すとすると、
東から順に尼崎市、西宮市、神戸市になる。
その中でも尼崎市と西宮市の境にある「武庫川」が気になる。
「むこ」とは「向こう」の意味ならば、「むか」と同じだ。
もしかして、武庫川から西が「むか」なのだろうか。
西宮市には旧石器時代・縄文時代の遺跡は未発見だが、
甲山山頂・岡田山・上ヶ原新田墓地遺跡に痕跡がある。
縄文時代の石器が出土していて、
古くから近辺に住人がいたことは確かなようだ。
弥生時代後期の集落遺跡として仁川五箇山遺跡。
甲山山頂では銅戈、海岸部平地の津門大塚町では銅鐸が出土。
大塚町の北の高松町遺跡には水田跡がある。
「むか」に弥生時代の水田遺跡
集落遺跡がある西宮市津門大箇町では、
弥生時代から奈良時代までの出土品があった。
武庫川の西岸、現海岸線から2kmの低地、
明治までは一面畑地または水田だったという。
武庫川と夙川が運ぶ土砂が積もってできた扇状地で、
時代とともに海岸線は南下してきた。
古代では海岸沿いの村だったようだ。
「津門」という地名のように、武庫川と海とをつなぐ港。
津門には古墳時代(中期)の前方後円墳が二基あったらしい。
5世紀の埴輪が出土。
現在は古墳地上部は消失。
高松町遺跡(水田跡)はそれらの北部に位置する。
その水田と集落(大箇町遺跡)とこれらの古墳はセットで、
稲作農民のムラと、その支配者(ムラの首長)の古墳らしい。
まとめとして、「むか」も湿地?
この地域(津門)が「むか」だとすると、「むか=むた」だ。
歴史的にも地形的にも言える。
武庫川の扇状地で、縄文時代は海だった。
「むた」地名の多い地域は大牟田市だが、
有明海沿岸の湿地で、多くの弥生遺跡がある。
また関連して「むさ」では、岡山と奈良に例がある。
岡山の牟佐は古くは旭川の河口、縄文時代は海。
奈良の牟佐は縄文時代は奈良湖の沿岸。
どちらも湿地で、早くから水田になった場所だろう。
むか=むた=むさ、そう考えることもできる。
ただし、これといった根拠はない。